絵画の部屋
小学校4年生の頃、インドとの学童の絵画の交換があり、私の絵がインドに渡りました。
こんなきっかけで絵が好きになったのでしょう。小学校・中学校・高校と絵の先生にも恵まれました。
故浜敏夫先生、故小松宇太郎先生、故宮下琢郎先生です。
高校の同級生には絵が好き 旨い連中が多く居て 一緒に良く描いたものです。特に薩摩林 正君(毎日新聞)・
早川次彦君(電通)・松木本興君(大阪市役所)・横川紀夫君(すかいらーく) 等は特に旨かった。
今でもみんな描いているようです。早川君は、1999年に銀座で個展を開催しました。
社会人になって 同じ独身寮に、飛騨出身の畑式久君がいました。実に絵が上手な男で、時々一緒に志賀高原や
名古屋港などに良くスケッチに行きました。
展覧会に出品することは 好きでないのですが、どうしたことか1960年の名古屋市民展に一度だけ出品して
中日新聞社賞を戴いたことがあります。下の「東山裏池」がその作品です。
その頃の作品の一部をご覧いただきます。下手な絵で恥ずかしいのですが・・・・・・・・
畑君のホームページで すばらしい絵をご覧になれますから、畑君が描いた顔を
クリックして下さい。
1963.9 志賀高原 坊寺山
畑君と志賀山荘に宿泊した時に描いた1枚です。
丸池と 坊寺山(または坊平山)です。
1960.8 東山の裏池
名古屋市の東山公園の裏(東側)では
西山団地の造成が始まっていました。
1963.10 名古屋港
港に停泊中の外国貨物船の船員
さんが、船の中で食事を ご馳走す
るからと 縄梯子を下ろしてくれまし
たが、こわくて 登れませんでした。
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